top of page

保存会の歩み

大森駅の近くにある「大森貝塚」は、
1877年(明治10)にエドワード・シルベスター・モース博士によりわが国で最初に科学的な発掘が行われた、日本の考古学・人類学の礎となる由緒ある地です。
 
1929年(昭和4)及びその翌年には当時の関係者の尽力で2つの記念碑が建てられ、その歴史的価値がゆえに
1955年(昭和30)に国の史跡に指定されています。

しかし、当時その場所は民有地であっため、記念碑が線路の傍らに塵をかぶって立っているのみで、人々から忘れさられようとしていました。かつて貝塚の存在した一帯は、多くの建物が建ちならび、縄文時代の生活を偲ぶことは難しくなっていたのです。「大森貝塚」はあまりにも荒廃し過ぎた感がありました。

 

1965年(昭和40)このような現状をよくしようという情熱を持った地元住民を中心に「大森貝塚保存とモース博士顕彰の準備会」という会が開かれ、今後の方針について活発な意見交換がなされました。さらに、これを契機に幾度か会合が重ねられ、「東京都大森貝塚保存会」が発足するに至りました。会は、その後も熱心な人たちによって、いくつかの計画が進められ、現在ある二基の記念碑を核に、碑建立以前から先人たちが夢見てきた遺跡公園の設置や博物館の建設運動を続けてきました。

 

1967年(昭和42)は、モース博士が貝塚を発見してから90周年にあたり、10月には記念式典を行うと共に、「大森貝塚90年史」を刊行しました。さらに、記念碑の一つが電電公社所有地にあった為、同社の了解でその地を一定期間借り受けて参観を容易にするとともに、そこに大田区教育委員会と区立小中学校の協力を得て、生徒の手になる貝塚絵巻きを公開陳列するなど、モース博士を偲び、あわせて日米親善の交流を深め、青少年が郷土の歴史に興味を抱くよう努力してきました。
 

1977年(昭和52)、大森貝塚発掘100周年記念事業として「モースと大森貝塚展」を大田区教育委員会とで共催しました。大森駅ホームにある「日本考古学発祥の地」の碑は、この時建てられました。
 

1984年(昭和59)、米国マサセチューセッツ州セーラム市にあるモース博士ゆかりのピーボディ博物館と大田区立郷土博物館が姉妹館となり、1991年(昭和67)にはセーラム市と大田区が姉妹都市になりました。

 

 このように、いろいろな方々の熱意と尽力で、「大森貝塚」はその歴史を刻んできました。私たちは、この現代の東京に縄文時代の遺跡が存在することを素晴らしいことだと思っています。このことは、忙しい日々に追われ、ややもすれば忘れがちになっている、「今ある私たちの生活は過去から連綿と続く人々の暮らしの積み重ねの上に成り立っているということ、そして、私たちの後には次の世代が続いていくのだ」ということを思い起こさせてくれるからです。

 その意味で、私たちの住む町にある「大森貝塚」は私たちの誇りであり、私たち自らが引き継いで次の世代の人たちのために保存していかなければならないものだと考えます。

 私たちは、多くの人たち、とりわけ地元の人たちに「大森貝塚」への関心を持ち続けて欲しいと願っています。そして、でき得れば保存会の趣旨に賛同をしていただき、私たちと一緒にこの活動をしていただきたいと考えます。よろしくお願いします。

図6.jpg
図5.jpg
図3.jpg
図3.jpg
図4.jpg
図1.jpg
図2.jpg
M ホーム献花前.jpg
写真2 fm Koide.jpg
DCIM0002.JPG
土器づくり (2).JPG
bottom of page